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ヒルデガルト・ファミリエ通信
〜 自然療法の母・聖ヒルデガルト療法 〜

#13 中庸であることとは?<後編>

  • 執筆者の写真: 森 Wenzel 明華
    森 Wenzel 明華
  • 1月2日
  • 読了時間: 9分

こんにちは。ドイツ自然療法スクール / ヒルデガルト・ファミリエ 主催、一般社団法人 国際植物療法機構グリーンフォレスト代表の 森 Wenzel 明華 (もり・うぇんつぇる さやか) です。


わたしは 20 年以上にわたって、様々な自然療法を研究し、実生活の中で実践しています。


ドイツには、聖ヒルデガルトという約 1,000 年前に活躍した自然療法の基盤を築いた修道女がいました。


その教えは、今なお多くの人々に時代を超えて愛され、ドイツの自然療法や教育にも影響を与えています。


医師、博学者でもあった聖ヒルデガルトは、自然と調和した生活を重視し、

薬草や自然療法に関する貴重な知識を残しました。 こちらのヒルデガルト・ファミリエ通信では、その聖ヒルデガルトの残した自然療法や考え方を、わかりやすくお伝えしています。

もっと多くのかたに聖ヒルデガルトの智慧やドイツ自然療法のことを知っていただけたら、嬉しいです!


それでは、第 13 回目のコラム、中庸であることとは?<後編> をお届けします。


ドイツ自然療法スクール / ヒルデガルト・ファミリエ / ヒルデガルト修道院

聖ヒルデガルトの「表現」から中庸を考える


前回第12 回目のコラムから引き続き、聖ヒルデガルト療法を実践していく上での大切な中庸であること、ということをテーマにお話ししています。 → 第12 回目のコラムはこちら 『Scivias / スキヴィアス (道を知れ)』の冒頭部分で聖ヒルデガルトは下記のように記しています。


「私は見た。しかし私はその像を、心の目で静かに観察した。


そこに何が示されているのか、私は理性を持って理解しようとした。」


聖ヒルデガルトがヴィジョンを受け取り、神秘体験をしている時も、感情に流されずに冷静に理解しようとしたことがわかります。

ドイツ自然療法スクール / ヒルデガルト・ファミリエ / ヒルデガルト修道院

こちらは聖ヒルデガルトの『Physica フィジカ / (植物学)』の記録から。


「この草は、火の力を少し帯び、水の穏やかさを持つ。

その力は弱すぎず強すぎず、人の体に入ると血に調和をもたらす。」


植物の性質について聖ヒルデガルトは、

自然現象を感情を交えずに冷静に観察しています。


ドイツ自然療法スクール / ヒルデガルト・ファミリエ / ヒルデガルト修道院


聖ヒルデガルトの文献に触れていると、彼女が神からのヴィジョンの中にいる時も、そして植物や動物、鉱物に対して彼女の能力で (恐らく)「観ている」時も

いつも超・冷静だったということがすごく理解できるのです。


また治療に関しても、冷静に患者をみつめ、そして薬草などを使った治療法を観察しています。


「もし人が寒さの病にある時、この植物は温を与える。

だが、熱の病にある時には用いてはならない。」


聖ヒルデガルトの治療論は、状況によって作用が変わるという冷静な区別が随所に見られます。


聖ヒルデガルトは、感情に流されず、

自然や人間を「一つの調和したシステム」として冷静に見つめていたのです。


植物や身体の働きを説明する時も、

「熱・冷・湿・乾」といった四元素からの 4 つの要素に分けて、

どの力が強いのか、どんなバランスなのかを分析していました。


ドイツ自然療法スクール / ヒルデガルト・ファミリエ / 緑の薬箱講座



こちらは自然療法スクール ヒルデガルト・ファミリエ / Hildegard Familie の講座の中でも

さらに詳しく、丁寧にお伝えしています。


前述しましたが、聖ヒルデガルトは神秘体験を語る時でさえ、

その内容をただ受け入れるのではなく、「何が見え、どう理解できるのか」という

観察者としての姿勢を保ちました。


現象を細かく分類し、

原因と結果を冷静に繋いで説明するのが彼女の特徴です。


治療についても、感覚や直感だけに頼るのではなく、

「どの条件の時に、どの作用が起こるのか?」という

明確な論理で語りました。


聖ヒルデガルトの教えだけでなく

自然療法を学ぶ上で一番に大切なことは、「観察者」であるということです。


これは私が一番初めに学んだ自然療法のホメオパシー、その創始者ハーネマンの根幹にある教えでもあります。


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医学の祖であるヒポクラテスも

「Polla theorein, polla mimnēskesthai. (多くを観察し、多くを記憶せよ)」と言っています。


中世イスラム世界の大医師であり、ヨーロッパ医学にも大きな影響を与えた

イブン・シーナ (アヴィケンナ) / Ibn Sīnā も

「診察こそ知識の土台である」と、観察することの大切さを説きました。


感情をきちんと感じること、自分の感情も、他者の感情も。

その上で冷静な観察者であることが大切なのです。


それこそがセラピスト、医師としての姿勢ではないでしょうか?


そしてそれが中庸へと繋がっていくのです。


裁かないこと、ジャッジしないこと。


また、中庸とは

「人を許す」とか「全部良いものとして受け入れる」

という意味ではありません。

これも多くの方が勘違いしている点です。

ひたすら「善い人」みんなに好かれたいという落とし穴にハマってしまっている人もいます。


中庸とは、物事を善悪で切りつけず、

ただありのままに受け止めることでもあるのです。


私自身もこの仕事を通じて、多くの方々に出会い、お話しする機会に恵まれました。


そしてどれだけ悲惨だったり、しんどかったり、辛い状況の方でも、

共に歩んでいると、少しずつ・・・変化していきます。


(だいじょうぶかな?)とか

(大変だなぁ)とは思いますが・・・

ジャッジはしません。


枯れ果てた真冬の大地みたいだった方も、、いつしか春の日差しが照らし

柔らかな風が吹き、そして小さな芽を出し・・・。

爽やかで可憐な花のような笑顔が綻ぶのを、何度も見てきたからです。


ドイツ自然療法スクール / Hildegard Familie ヒルデガルト・ファミリエ  / 緑の薬箱講座


私自身もそうだなと思います。


海外で子育てしながら、暗い谷間の絶望の中にいるかのような時期もありました。

恩師の励ましや自然療法の学びや仲間たちとの交流の中で、一歩一歩前進し、

今は・・・ようやく草原あたりには辿り着けたような気がします。


自分のことも、誰かのことも

ジャッジしないこと。


裁かずにありのままを見つめること・・・それが中庸の視点なのです。


聖ヒルデガルトはいつもそんな視点を持っていたのです。


自分を赦すこと。


海外、ドイツに暮らしていると (もちろん自分も含めて)、

日本人は・・・へんに真面目すぎるんだな、と思います。


心の声や感情を無視したり、無理したり、なぜか自分を責める人が多いのです。


自分の心と身体のペースを守ることも中庸であることなのです。


無理に頑張らない

無理にポジティブにならない

無理に愛そうともしない

無理に強くならなくていい


あなたのありのまま、そして誰かのありのままを見つめるのです。


子育てだって、そうですよね。

さまざまな人間関係だってそう。

自分自身もそう。


ありのままに見つめるのです。

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そして前編でお話ししたシュタイナーのバランス感覚。

人生には、嬉しいことだけでなく、悲しみや痛みも訪れます。


けれどその経験のどれもが、

私たちの心の幅をひろげ、バランス感覚を育ててくれます。


辛い経験をくぐり抜けた人は、

喜びの尊さも、人の弱さも、深く理解できるようになります。

その優しさと強さこそが、人生を豊かにする力となって、静かに内側で輝きはじめるのです。


聖ヒルデガルト療法は、「弱者による弱者のための療法」とも呼ばれています。


なぜなら、彼女自身が体が弱く、社会的地位を持たない女性であったから。

だからこそ、人の気持ちを理解し、静かに情熱を持って観察し、

バランス感覚、中庸である生き方を培っていったのです。


そして多くの方を観察してアドバイスしていったのです。

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最近出会った

「許そうとしない自分を許すこと」という言葉に

私ははっとしました。


誰しも、どうしても許せないことが、一緒に暮らしていたり、近しい人間関係になればなるほど、出てくることはありませんか?


許せない、と思っている自分を責めてしまう。

許せない自分を許せないということ。


これもありのままの自分を受け入れていないということ、ですよね。

それが中庸からずれているということなのです。


「あぁ、そうだよね。謝ってくれても絶対に許せない・・・って思ってる自分が許せないのか」

とはっと気がつけたのです。


でも、私は許せない私を許すことができます。

これが中庸なのです。


(うん、わたしは許せないと思ってる。今はそれでいい。

いつか時間が解決してくれるかもしれないし、できないかもしれない)

と思った時に、心がすっと楽になりました。


聖ヒルデガルトは多くの人を救い、癒やして、導いた人生を送りました。

彼女自身も感情が揺れたことが多々ある、と記録から理解できます。

それでも自分自身を受け入れて、許し、他者を許し、天に向かって歩んでいったのです。


だからこそ私たちも、完全であろうとせず、

揺れ動く人間のままで、静かに “真ん中” へ戻っていけばいいのです。


それが「中庸であること」なのです。

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自分ではなかなか自分のクセに気づけないことがあります。

そんな時に、誰かにアドバイスしてもらったり、一緒に学んでいく仲間がいるということは、とても大きな中庸への気づきになります。


ヒルデガルト・ファミリエ / Hildegard Familie ではあなたと共に歩みながら

自然療法の講座の中で、そんな「生きるヒント」も「心が楽になる方法」もお伝えしています。


あなたが、あなたらしく生きられますように。

そして聖ヒルデガルトのご加護がありますように。


新しい年に、自分自身のや大切な存在の体を守るセルフケアやセラピストとしての道を歩んでいきませんか?


あなたにとって、素晴らしい 2026 年になることを祈っています。


自然療法のセルフケアをはじめたい方は、まずは「緑の薬箱」レッスンへどうぞ ☺️


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幅広い内容の自然療法を学び、あなたならではの憩いの場、癒やしの場をつくっていきませんか?


一緒に、素敵な仲間たちと共に、聖ヒルデガルトを生きていきましょう。


いつもあなたの健康と幸せを祈っています。



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第 13 回目のヒルデガルト・ファミリエ通信のまとめ 中庸であることとは? <後編>


中庸とは、感情を抑え込むことではありません。喜びも、怒りも、悲しみも、きちんと感じた上で、自分自身を観察できる「もう一つの視点」を持つことです。

無理に許そうとしなくてもいい。無理に前向きにならなくてもいい。「許せない自分を許すこと」もまた、中庸なのです。

裁かず、無理をせず、自分も他者もありのままに見つめること。それが中庸であり、癒やしの出発点なのです。


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