#12 中庸であることとは?<前編>
- 森 Wenzel 明華

- 2025年12月21日
- 読了時間: 7分
こんにちは。ドイツ自然療法スクール / ヒルデガルト・ファミリエ 主催、一般社団法人 国際植物療法機構グリーンフォレスト代表の 森 Wenzel 明華 (もり・うぇんつぇる さやか) です。
わたしは 20 年以上にわたって、様々な自然療法を研究し、実生活の中で実践しています。
ドイツには、聖ヒルデガルトという約 1,000 年前に活躍した自然療法の基盤を築いた修道女がいました。
その教えは、今なお多くの人々に時代を超えて愛され、ドイツの自然療法や教育にも影響を与えています。
医師、博学者でもあった聖ヒルデガルトは、自然と調和した生活を重視し、
薬草や自然療法に関する貴重な知識を残しました。 こちらのヒルデガルト・ファミリエ通信では、その聖ヒルデガルトの残した自然療法や考え方を、わかりやすくお伝えしています。
もっと多くのかたに聖ヒルデガルトの智慧やドイツ自然療法のことを知っていただけたら、嬉しいです!
それでは、第 12 回目のコラム、中庸であることとは?<前編> をお届けします。

聖ヒルデガルトの教えに「中庸であること」というものがあります。
このコラムでも何度か紹介してきた聖ヒルデガルトの教えの一つです。
第一回目のコラムでも「中庸であること」についてお伝えしています。
→ 第一回目のコラムはこちらから。
こちらでは、聖ヒルデガルトの行っていた治療方法や体・心・魂のあり方
その診断方法、そして薬草や宝石などで、どのようにバランスの崩れた箇所を癒やすか? 聖ヒルデガルト療法としての治療のあり方の基本をお話ししました。
今回は、毎日の暮らしの中で「中庸であること」とは?
ということをお話しいたします。
これは常にバランスの取れた公平な姿勢で生きていくこと・・・と説明していますが、
ちょっと抽象的かもしれません。

ドイツはオーガニックがとても盛んです。
その「オーガニック」という考え方を最初に体系化した一人がシュタイナーです。
そして、シュタイナー教育を創ったシュタイナーは、人間の感覚には 12 の感覚があると定義しました。
その中には「バランス感覚」というものもあります。
これは中庸を理解するのに分かりやすいのではないかと思います。
バランス感覚とは、極端に振れず、真ん中で安定するための、自分の軸を保つ技術 (生き方) です。
それが「自分軸」にも繋がっているのです。

「中庸である」というと、つい社会や人間関係など、他者に対して・・・と考えてしまいがちです。
しかし一番大切なのは、自分自身に対して、内なる部分が要なのです。
聖ヒルデガルトはそれを本当に理解し「中庸」に生きていたという表現が著書にも多々見受けられます。
なんというか・・・
いつも冷静な姿勢というのが、文章からも (それがたとえ翻訳された文章であっても) 伝わってくるのです。
「観察者」であること。

生きていると、人生にはさまざまなことが起こります。
感情が波だって時に巻き込まれてしまうことも。
不安だったり、悲しみ、怒り・・・時に喜びも。
「中庸である」というのは、自分の感情と距離があることでもあるのです。
しかし、「感じる」・・・というのもとても大切なことです。
(麻痺させてしまっている人もいますからね・・・)
実際に聖ヒルデガルトはとても感情的な人でもあったのです。
なんだか「聖人」と呼ばれる人が感情的だと聞くと、え?って思ってしまうかもしれません。
感情は、私たち人間が天から与えられた贈り物です。
心の中を表現したり、相手の気持ちになったり・・・
怒ったり、嘆いたり、苦しんだり、喜んだり・・・。
そういった生き生きとした感情も聖ヒルデガルトが実際にやりとりしていた書簡などから理解できるのです。
そういう彼女の持つ人間臭さが、1000 年が経った今もなお、多くの人の心を打つのではないでしょうか?
あなたは感じたことを素直に表現していますか?
喜びを
嬉しさを
悲しみを
苦しみを
その上で、大切なのは観察者として、
「感じていることを冷静に観察できること」なのです。
「あぁ、今、私は疲れているんだな」
「だから怒ってしまうのか」
観察者として、気がつける状態にあること。
それが「中庸」の状態と言えるでしょう。
これは感じていること、感情に蓋をする冷静さとは別物です。
それは冷静なふりをしているだけ・・・(中は嵐)
何度も説明していますが、自分の感情を素直に感じて、そして観察するということです。
観察者であること。
自分の頭、心で考えること・・・そして進むべき道を決めて歩いていくこと。
それが「中庸」なのです。
。

聖ヒルデガルトの「言葉」から「中庸」を考える。
ヒルデガルトの著作『Physica / フィジカ (自然学)』や『Causae et Curae / 病因と治療』などで頻出するのは、以下のラテン語です。
「中庸」というのは、翻訳されている言葉なので、それぞれの言葉や表現の意味をゆっくりと紐解いていきましょう。
temperantia:
意味は、節度・調和・バランスの取れた状態。
聖ヒルデガルト医学では、「過多でも過少でもなく、ちょうどよい状態」を示す言葉です。
homo temperantiam servare debet:
人は調和 (節度) を守らねばならない、という意味です。
moderatio:
意味は、穏やかさ、節度、中くらいであること。
温/冷、湿/乾など、四体液のバランスを語る時に使われます。
ordo:
意味は、秩序、世界が本来あるべき調和の秩序。
聖ヒルデガルトは「秩序が崩れる = 病」と考えました。
いわゆる「中庸」の思想とほぼ一致していますね。
aequilibrium:
意味は均衡、バランス、釣り合い。
自然界・人体の「エネルギーの均衡」について語る際に登場します。
聖ヒルデガルト世界観としての「中庸」とは
中庸 (ほどよい状態) = Viriditas (生命力) がのびのびと動ける、活動できる状態です。
ちょうどよい循環の中に生命力が芽吹く、という考えが一貫しているのです。

特に『Causae et Curae / 病因と治療』では、
人間の病の多くは「節度の欠如 (immoderatio)」から生じると明確に書かれます。
これは、これまでのコラム内でもご紹介したと思うのですが、
『美徳と悪徳』という書籍にも聖ヒルデガルトの教えが詳しく書かれています。
moderatio というのは一番多く出ている言葉で、
身体、心、生活習慣が無理なく調和している自然なバランスを表す言葉です。
「心と体の心地が良い状態」
「自然体でいられる心の状態」
「心身のリズムが調和していること」
聖ヒルデガルトは、この「中庸のバランス」を保つことこそ、健康の根本だと考えていました。
さぁ、あなたの今の状態はいかがでしょうか?
心・体・魂は?中庸でしょうか?
「観察者」としてご自身の状態を・・・観察してみてくださいね。

それでは次回は、新年 2026 年に!さらに詳しく「聖ヒルデガルトの中庸であること」の後編に続きます。 そして・・・
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いつもあなたの健康と幸せを祈っています。

第 12 回目のヒルデガルト・ファミリエ通信のまとめ
中庸であることとは? <前編>
・聖ヒルデガルトが説く「中庸であること」とは、感情を抑え込むことでも、常に冷静でいようとすることでもありません。それは、感じることを許しながら、同時に自分を観察できる状態であることです。その気づきこそが、心・体・魂を整える第一歩となります。
・中庸とは、極端に振れず、真ん中に留まろうとする「生き方の技術」。シュタイナーが語った「バランス感覚」のように、自分の軸を保ちながら、日々の揺らぎの中で立ち戻る力でもあります。
・聖ヒルデガルトは、「節度を失うこと(immoderatio)」こそが病の根源であると考えました。中庸な状態とは、Viriditas(生命力)がのびのびと巡り、自然に芽吹くことのできる心身の状態なのです。





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