#15 聖ヒルデガルトと孤独 ― 沈黙がひらく癒やしの扉 <後編>
- 森 Wenzel 明華

- 3月30日
- 読了時間: 7分
こんにちは。ドイツ自然療法スクール / ヒルデガルト・ファミリエ 主催、一般社団法人 国際植物療法機構グリーンフォレスト代表の 森 Wenzel 明華 (もり・うぇんつぇる さやか) です。
わたしは 20 年以上にわたって、様々な自然療法を研究し、実生活の中で実践しています。
ドイツには、聖ヒルデガルトという約 1,000 年前に活躍した自然療法の基盤を築いた修道女がいました。
その教えは、今なお多くの人々に時代を超えて愛され、ドイツの自然療法や教育にも影響を与えています。
医師、博学者でもあった聖ヒルデガルトは、自然と調和した生活を重視し、
薬草や自然療法に関する貴重な知識を残しました。 こちらのヒルデガルト・ファミリエ通信では、その聖ヒルデガルトの残した自然療法や考え方を、わかりやすくお伝えしています。
もっと多くのかたに聖ヒルデガルトの智慧やドイツ自然療法のことを知っていただけたら、嬉しいです!
それでは、第 15回目のコラム、聖ヒルデガルトと孤独 ― 沈黙がひらく癒やしの扉 <後編> をお届けします。

観想とは何か ― 聖ヒルデガルトという生き方
この聖ヒルデガルトの姿勢を支えていたのが、現代でいうなら「観想」という生き方です。
観想とは、静かに見ること。
判断せず、急がず、意味づけを急がず、対象とともにとどまる態度のことをいいます。
すぐに答えを出そうとせず、まずそのままに受け止めること。
変えようとせず、見つめる。
その沈黙の中で、あとから自然に「わかる時」が訪れます。
これが観想の実りです。

私自身もこれまで、公私ともに多くの方々と関わってきました。
友人、クライアントさん、生徒さん、
そして ひるで・ファミリエ / Hildegard Familie で出会う大切な仲間たち。
そしてセラピストとして、大切なのがこの「観想」の姿勢です。

ジャッジせず、その人をそのまま受け取ること。
すぐに評価しないこと。
変えようとしないこと。
正直に言うと・・・
そんなことは、まだまだ完璧にできるわけではありません。笑
いまも学びの途中です。
もともとがおせっかいな性格なので・・・
つい (こうしたら良くなるのでは?) と聞かれてもないのに、やきもきしたり。
いろいろな方と出会う中で、心の中で
「ふーん、そうか。この方は・・・少し変わっているな…」
なんて思ってしまうこともあります。
けれど、その瞬間に気づくようにしています。

まずはそのまま受け止めて。
判断しそうになったら一歩引く。
意味づけを急ぎそうになったら、少し待つ。
観想とは、相手を分析することではなく、
相手とともに在ることです。
そうして自然療法のレッスンや対話を重ねるうちに、
少しずつ見えてくるものがあります。
その人の奥にある優しさ。
傷つきながらも守ってきた強さ。
魂の美しさ・・・輝き。
最初に見えていた違和感は、
その人のほんの表面的な入口にすぎなかったのだと気づかされます。
そして時間をかけて多くの方が、輝きを取り戻し、
変化していく様子を
見せていただきました。。
ほんとうに心から感謝しています。

苦しみは内側へと導く道標
人は順調な時、外へ向かいます。進み、動き、広げていきます。
けれど苦しみは、人を立ち止まらせます。
思い通りにならないこと。
喪失、病、変化。
それらは私たちを内側へと向かわせます。
止まり、見つめるしかなくなるからです。
苦しみそのものが人を深くするのではありません。
苦しみとどう向き合うかが、その人の深さをつくります。

怒り、責め、逃げることで浅くなります。
感じ、見つめ、逃げないことで深くなります。
人間の深みとは、若い頃の失敗や、地獄のような経験を通り、それを少しずつ克服したり、受け入れたりする中で育まれるものなのかもしれません。
表面的ではない深さは、そういうところから生まれます。
長く生きると、誰もが孤独や喪失を経験します。
コントロールできない出来事にも出会いますよね・・・。
そのたびに人は、見ることと受け入れることを学びます。
老いが価値を持つのは、
情報量が増えるからではなく、観想量が増えるから。

わたしの尊敬する恩師も、
ドイツやヨーロッパで出会った自然療法の先生方も、そんな深い存在の方ばかりです。
そういう方に相談に乗ってもらったり、
お話を伺ったりすると、胸に染み入る言葉に出会うことがあります。
長く観想された経験は、密度を持つのです。
だから経験豊かな人の言葉は、
理論ではなく、深みと重みとして心に届くのでしょう。
聖ヒルデガルトの教えも、1000 年以上経った今でも
心に響くのです。

観想が深まると、人は優しくなれます。
同時に、流されなくもなります。
誰かにどう思われるか・・・ということも気にならなくなります。
それは、いつも自分の内側を見ているからです。
何が心地よくて、何が違和感なのか、ちゃんと自分でもわかっているので
静かな境界線が生まれます。
嫌われたくないから我慢するのでもなく、
怒って爆発するのでもなく、静かに距離を取ることができる。
そのような人と一緒にいると、なぜか安心できますよね。

本当にほっと安心できる人とは?
安心とは、問題がないことではありません。
脅威がないこと。
ジャッジしない、コントロールしない、批判もしない、ただ見守ること、ただ受け止めること。
そこに、安心できる関係の空間が生まれるのだと思います。
聖ヒルデガルトが放っていた存在感も、きっとそのようなものだったのでしょう。
そんな人に、いつかなれたらいいな……と願っています。

聖ヒルデガルトが啓示を受けた修道院跡地ディジボーデンベルクは、
小高い丘の上の森の中にあります。
いまは石の柱や教会の跡地が残されているだけですが、
そこにはいつも静かな緑の世界が広がっています。
聖ヒルデガルトの語った Viriditas (緑の力) に包まれているような場所です。
そこを訪れると、いつも心がほっと安らぎます。
そんな存在に、そして、誰しもがほっとできる心の空間を、自らの内側に持てるように。
日々を重ねて生きていきたいですよね。
それは、自らの内側に向き合った人だけが築ける空間なのかもしれません。

あなたが孤独な時。問題や自分自身に向き合うのが怖い時。
孤独は、あなたに「愛すること」と「思慮すること」を与えてくれるのかもしれません。
観想が深まると、愛が深まります。苦しみが意味を持ちます。
時間を信頼できるようになります。待つことを学ぶことができます。
老いは衰えではなく、成熟になっていきます。
人生そのものが、観想へと変わっていくのです。

聖ヒルデガルトの語った Viriditas (緑の力) とは、外から与えられるエネルギーではなく、孤独と沈黙を通して、一人ひとりの内側から芽吹く生命力なのでしょう。
観想とは、その生命の芽吹きを待つ生き方なのかもしれません。
ドイツにも、春が訪れようとしています。
もし、今、
あなたが孤独であれば・・・どうか、
あなたの心にも春が訪れますように。
いつも祈っています。

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一緒に、素敵な仲間たちと共に、聖ヒルデガルトを生きていきましょう。
いつもあなたの健康と幸せを祈っています。

第 15 回目のヒルデガルト・ファミリエ通信のまとめ 聖ヒルデガルトと孤独 ― 沈黙がひらく癒やしの扉 後編
観想とは何か ― ヒルデガルトという生き方
観想とは、すぐに答えを出さず、静かに見つめ、ともに在る生き方です。その沈黙の中で、ほんとうに大切なものが少しずつ見えてきます。
苦しみや孤独は、わたしたちを内側へ導き、人としての深みを育てます。その経験をどう受け止めるかが、生き方や成熟に繋がっていきます。
観想が深まると、愛や祈り、境界線のある優しさが育まれていきます。孤独と沈黙の中から芽吹くいのちの力こそ、聖ヒルデガルトの述べた Viriditas (緑の力) です。





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